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秋北新聞に掲載されたコラム原稿です。
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よく皆さんに「先生は何してきたの?いつから使ってるの?」と聞かれますので、説明ながら振り返ってみたいと思います。
1台目のパソコンはNECのPC8801シリーズでした。石巻の庄司電気で親に買ってもらいました。当時はマシン語に関するマニュアルやパソコン通信に関する広告が同胞されていて、プログラミング=パソコンを使うというイメージで当然ながらマシン語でのプログラミングやPC-VANでパソコン通信などしました。そう、この頃すでにモデムで通信ができていたのです。チャットや掲示板なんかもあったんですよ。ただ、インターネットはなかったのでホームページはありません。でもパソコンを年賀状や文章作成にといった使い方はしませんでしたね。なにせ、プリンターもドットインパクトで連続紙でしたから、面白みに欠けていた。精々今で云うアスキーアートで遊んだくらいかな。その後、中学3年間は喘息のため亘理にある国立療養所に入院していましたのであまり使えませんでした。
2台目はポケットコンピューターです。今風に言えば関数電卓です。高校卒業後、叔父の工場でNC旋盤工を手伝っていたとき望遠鏡の試作モデルを製作中、レンズを受ける部品の削り角度や強さを求める時にいちいちパソコンを起動させるのが面倒で購入しました。ベーシックによるプログラミングが可能で長宝したのを覚えています。
3台目は秋葉原でNECのPC9801シリーズを購入しました。まだまだ世の中はパソコン=プログラミングでした。MS-DOS(Windowsの全身)がパソコン界制覇に向けて動き出し、多くの会社が業務にパソコンを導入し始めたのもこの頃ではないでしょうか!当時は四谷の新菱冷熱工業電算管理部で3次元CAD(Trimodeler)の開発チームに属し、図面の書き方からデータベース構築など知織と技を盗んでいました。VAXやUNIXなどコンピューターとはこういうものかと思い知らされました。今のように研修だとか学習マニュアルなんてありません。CADについても分厚い英語マニュアルが何冊もあって、それを見て1週間で覚えろといわれたんですよ。所持金3万円で上京したものですから最所の3か月は必死でしたね。錦糸町から四谷まで何度も歩いて通勤したものです。
4台目はAppleのMacです。この頃はWindos3.1が全盛で地方の会社にもパソコンが普及しはじめていたと思います。当時はWindowsは会社で使うことを、Macは家庭で使うことを目的としていたのでしょう。自宅で使うパソコンが初めて面白く感じました。職場ではロボット工学まで勉強するなど益々未知の世界が広がりました。そういえば一瞬で消えてしまいましたがUNIXもパソコンへの道を歩もうとしたんですよ。
5代目もMacで840AVです。世間はWindows95やNTが全盛で職場はWindows、自宅Macな人が多かったです。このあたりから、管理者から運用者、教育者、管理者、開発者、利用者(オペレータ)というものが分かれ、それぞれ評価されはじめたと思います。もともと管理者がすべて行っていたのが各スペシャリストが出現、職場がそれをうまく活用し分化したのですが、プログラミング=パソコンではなくなったのはいいことです。丁度羽田新空港建設JV現場CAD室教官をしていたのもこの頃ですね。ソフトも充実しはじめ、教育用知育ソフトが出始めました。名作「リビングブック」、絵本とパソコンの合体技は、長女(当時2歳)を虜にしたものです。いつの間にか自分で勝手にあそんでいるのに驚き、いろいろな知育ソフトをパソコンにインストールして自由に預けたら、ひらがな、カタカナ、ローマ字を勝手におぼえていました。もちろん文章として読み書きができるようになっていたのです。欠点もあります。1度は必ずパソコンを壊したり、データを消されます(オレンジジュースをこぼされた)。反応の遅いパソコンでは直に飽きてパソコン嫌いになります(キーボードや画面をガンガン)。現在、パソコンの父といわれるアラン・ケイがSQUEAK(スクイーク)で知育に挑んでいます。教育用途向けプログラミング言語と書くと難しくなるので、簡単に云えば子供でも出来る論理思考育成ソフトです。日本語版があるのでいっしょに挑戦してみてはいかがですか?
6・7・8台目は大館に着てからです。今から8年位前で、あまりにもパソコンがきちんと普及していなかったので、パソコン教室を始める際に富士通1台とIBM2台を手に入れました。良いパソコンとそうでないパソコンに差が出てきたのもこのころからでしょうか?何度もいいますが、良いパソコンとはやりたいことが速く快適に行えるパソコンのことです。
9台目はNECのサーバーです。インターネットも普及しはじめホームページなどを始めるために購入しました。この頃から岩手ポリテクカレッジで電気と設備の3次元CAD講師として招かれていました。
10・11台目はHP(ヒューレットパッカード)のパソコンです。いち早くIT講習が行われることを知り、各市町村をまわるなどしましたがパソコンも教本もすべて用意してくれとか云われたりして、本当は20台位ノートパソコンが欲しかったのですがお金がなかったのでそうゆう市町村はあきらめ、実質1町と知り合いのパソコンを借りて県から直でパソコン教室にて行いました。合川町のみなさん、ちゃんと練習してますか?
12台目は自作しました。このあたりから、秋田職業能力開発短期大学校(通称:職短)でパソコンの非常勤講師としてIT講習をおこないましたね。
13・14台目はSONYのVAIOです。結婚式や子供の思い出DVDの制作依頼が来るようになり必要になりました。この頃には、職短住居環境科の非常勤や秋田県立技術専門校で機械設計3次元応用の講師を始めています。当時はWindowsやMacのほかにLinuxというものがはやりだしてきました。ほかにもLindowsなどアンチマイクロソフトが騒がれていましたね。
15・16・17・18台目は、当店の武田と自作しました。その後しばらくしてパソコン教室を閉め、パソコン専門店オープンまで大学で4次元GISの研究を手伝わさせて頂いておりました。義務とかあったりして詳しく云えませんが、振り返るとこんな感じです。
いろいろなパソコンや利用者を見てきて云えることは、バランスを保つことが大切だということです。やりたいことを石としましょう。作業は運ぶことです。小さな石でも遠くに運ぶのは大変です。歩くより自転車、自転車より自動車が速く運べます。大きな石やたくさんの石ならダンプカーですよね。いつの間にかパソコンを取り巻く環境はたくさんの大きな石だらけになってしまいました。インターネットで映画を見たり、音楽をダウンロードして携帯プレーヤーにムーブしたり、パソコンでテレビを録画したり、配信したり、たくさんのウィルスやスパイウェアに対応した対策ソフトを常駐させたり、きれいな写真を編集しメールで送受信したり年賀状に使ったり、ビデオカメラの思い出をDVDに編集したり、どうですか?いまや大きな石ばかりなんですよ。そろそろ進学や就職に向けて準備をはじめていることでしょう。どうか良いパソコンを揃えてあげてください。お願い致します。
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プロフィール
HN:
パソコン専門店アップデート
年齢:
59
性別:
男性
誕生日:
1965/08/21
職業:
パソコンの先生
自己紹介:
10歳ぐらいからパソコンを始める。設備用3次元CADの開発に10年携わる。その後家内の実家のある秋田県大館市に移り住み、パソコン教室を営む傍ら、大学等非常勤講師などを経て、現在パソコン専門店でパソコンの先生をしています。
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